『星釣り月夜』後編





　いつもなら、釣り糸が足りなくなるなんてことはありません。
　釣り糸の材料となる毛糸の切れ端を運んできてくれるのは、“銀河鳥”と呼ばれている鳥たちでした。
　彼らはいつも、ミルキー・ウェイの両岸からの渡りを手伝ったり、星座地図の書き換えの為に長く長く飛んで距離を測ったり、星空鉄道の枕木などを運んだりしているのですが、合間に、地上からの様々な贈り物を月まで持ってきたりもしてくれるので、うさぎもねずみも、銀河鳥たちにはとても感謝していました。
　時には、うさぎとねずみの釣った星の飾り付けを手伝ったりもしてくれる、気のいい鳥たちなので、今回のことは、銀河鳥が悪いわけではありません。今だって、呼べばすぐにでも彼らは飛んできてくれることでしょう。
　ですが、彼らには彼らの役目がありますものね。なるべく自分たちで何とかしたいと、うさぎもねずみも思っているので、そんな風に考え込んでいるのでした。

「ぎんがどりたち、えらいね」
「うさぎもねずみも、おりこうさん」


――とても偉いですし、とても優しいですね。

　突然、ねずみがはっと声をあげました。何かを思いついたようです。ねずみは、パタパタとしっぽを動かしながら、うさぎに言いました。足りない釣り糸の代わりに、このしっぽを使うのはどうだろう、と。
　そんなことをしたら、きみはねずみじゃなくなってしまわないかしらん？うさぎが驚くと、白いねずみは不思議そうに答えます。はて、しっぽの短いねずみは、ねずみじゃなくなってしまうのだろうか、と。
　うさぎは、耳の短くなった自分の姿を想像してみました。カップの中のお茶には、耳の長い白いうさぎの姿が映っています。もしも、この耳が短くなったとしたら……。
　その時です、うさぎの肩にねずみが飛び乗りました。カップに映った白いうさぎの肩にも、白いねずみの姿がありました。
　ねずみと一緒なら、この耳が少しぐらい短くなってしまっても、自分はうさぎのままだ。 ……そのように思いましたので、うさぎはねずみの提案通り、しっぽを少しだけ使わせてもらうことにしました。

「ねずみはねずみで、うさぎはうさぎだよね」
「どんなでも、いつだって」


――いつも変わらずにそばにあるものは、とても大切なものです。だから、自分が少しぐらい変わってしまっても、大丈夫なんですよ。
　
　ねずみが自分のしっぽを軽く引っ張ると、すっと体から離れるようにしっぽの一部が切れて、すぐにそれは丈夫で美しい銀色の糸に変わりました。
　うさぎとねずみが、色とりどりの毛糸に、更にねずみのしっぽの銀の糸を継ぎ足して、編み込んでゆきます。少しすると、ブナの枝の釣り竿にぴったりな長さの、立派な釣り糸が出来上がりました。
　今夜の釣り道具はこれで完成です。さっき淹れたお茶はまだ少し温かく、夜もまだまだ続きます。

「どきどきだね」
「わくわくするよ」


――三日月舟を星溜まりの湖の中心へと進ませると、白いうさぎは少しだけしっぽの短くなった白いねずみと一緒に、星釣りを始めました。
　
　“星釣り”をするのに、特別なやり方は必要ありません。湖の中の星たちに向かって、こちらにおいで、と優しく語りかけるだけでいいのです。
　まだ名前すらない星たちは、あまりにも広大な夜空へ飾られることが怖いので、みんな少し震えています。ですが、それでも彼らはそれぞれが生まれ持った、温かで優しい光を放っているので、大丈夫だと言い聞かせてやれば、彼らはとても安心するのです。そして、安心して誇り高い気持ちになった星たちは、更に強く輝き出すのです。
　
「すごいね」
「おほしさま、きらきら」
「もっともっと、きらきらになるんだね」


――強く輝き始めた星たちを驚かさないように、うさぎはそっと釣り竿を手に取ります。星溜まりの湖に垂らされた釣り糸は、宝物を優しく包む時のように、しゅるしゅると星に絡まってゆきます。
　そのタイミングで、うさぎが湖面から竿をすっと引き上げると、美しい糸に捕らえられた星の姿がうっすらと見えました。そして、ねずみが小さな手で釣り糸を解いてゆくと、嬉しそうに光っている星が現れました。
　今すぐにでも空に飾って欲しいと言っているようで、いかにも幸せそうな光を放っている星です。

「やったあ」
「おほしさま、うれしいんだね」


――こんなにも幸福で優しい釣りは、他にないでしょう。釣り餌なんて、必要ないのですよ。

　もう少し待っていて、きみの仲間も連れていかなきゃね。ねずみが星に言い聞かせています。
　今夜、星溜まりから連れていく星は全部で七つ。あと六つ、星を捕まえないといけませんので。
　
　うさぎとねずみは、星溜まりの湖でゆっくりと星釣りを楽しみます。三日月舟の上に、一つ、また一つと星が増えてゆきます。夜はまだ続きます。

「たのしそう」
「おほしさま、つってみたいな」


――うさぎが、今夜二度めのお茶を沸かして淹れました。今日のお茶は、冬の終わりと春の始まりとが混ざり合った、とても良い香りのお茶です。
　立ち上る湯気の向こうに、パタパタと羽音が聞こえました。銀河鳥です。銀河鳥が一羽飛んできて、三日月舟の舳先に止まりました。
　
　やあ、いい匂いがしますね。そうそう、釣り用の毛糸は足りましたか。銀河鳥が話しかけると、うさぎが答えます。いいえ、今夜は少し足りなくて。でも大丈夫、ねずみが少しばかりしっぽを分けてくれたので……ほら、こうしてね。そう言って、うさぎが釣り竿を軽く引き上げると、色とりどりの毛糸と銀の糸とが混ざり合った釣り糸の先には、また一つ星が捕まっているのでした。
　銀色の糸としっぽの短くなった白いねずみの姿を交互に見て、銀河鳥はすまなそうに羽根を震わせました。もう、春も近いので、毛糸の切れ端が集まらなくてねえ……ねずみさんには悪いことをしましたね、すみません。
　……なるほど、春が近付いて、編み物を一休みする人の子らが多いせいで、毛糸の切れ端が集まらなかったのですね。
　なんてことないよ、何も変わりないもの。ねずみがしっぽを振って銀河鳥を元気づけると、うさぎは銀河鳥用の細いビーカーにお茶を注ぎました。

「やさしいうさぎ」
「やさしいねずみ」
「ぎんがどりも、やさしいね」


――本当に。みんな、優しいものたちですね。

　今夜二度めのお茶を飲みながら、再び星釣りをはじめたうさぎの隣で、ねずみと銀河鳥もお茶を飲みながら話をしています。天の川にへだてられた恋人たちのお話や、銀河鉄道に乗った少年二人のお話などは、人の子らを好きな彼らにとって、とても面白い物語でした。

　七つめの星が釣れる頃、お茶を飲み終えた銀河鳥は、もう一度ぺこりと頭を下げて、飛び立ってゆきました。
　うさぎとねずみも、星溜まりの中で仄かに光っている星たちに挨拶をして、湖を離れました。
　三日月舟がするすると滑るように夜空を渡ってゆき、さあ、今からは夜の仕上げです。

「わかった、かざりつけをするんだね」
「つってきたおほしさまで」


――そうなんですよ、よく気付きましたね。
　三日月舟に積まれた七つの星を手にとって、一つ、また一つと夜空のあちこちに星を飾ってゆくのです。
　 飾り付けには決まりごとはありませんので、好きな場所に好きなように飾っていいのですよ。

　大きな星はうさぎが、小さな星はねずみが飾ります。うさぎが真っ白な手で大きな星に触れると、星は初めての夜空の舞台に心躍らせて嬉しげに輝きます。ねずみが銀色のしっぽで小さな星に触れると、星は少し緊張気味にどきどきと胸を鳴らすように瞬きます。

　地上から見える星空よりもまだ向こう、あるいは人の子らが名付けた星座と星座のすき間、あちこちに飾られた、まだ名前のない星。飾りたての星。星溜まりの湖の中で、ずっと出番を待っていた星たち。
　ちかちかと光る星たちが、白いうさぎの黒い目に映ります。白いねずみの小さな目にも、その光はしっかりと届いています。

　今夜の分の星釣りと夜空の飾り付けは、これで完了です。

「きらきらひかる、よぞらのほしよ」
「うさぎうさぎ、なにみてはねる」
「うさぎは、ほしをみてはねてるんだね」
「ねずみも、ぎんがどりさんも」
「みんな、とってもうれしいね」
「うさぎのめは、やっぱり、くろいんだよね」
「つきには、かなしいことなんてないんだよね」
「すてきだね」


――素敵ですね。悲しいことなんて、少しもありませんよ。
　こんな風にして、うさぎとねずみは、三日月の頃には夜を過ごしているのです。

　幾日かの夜が過ぎた頃、うさぎの背中にねずみがもぐり込みました。もうそろそろ、うさぎもねずみも眠りにつく時なのです。

　ただ、三日月舟は今ではとても細い、舟ではない、消え入りそうな月の形になってしまっていました。あと少し経てば、すっかり空から姿を消してしまうでしょう。

「そんなの、いやだよ……」
「うさぎとねずみは、だいじょうぶ？」
「うさぎとねずみ、どこにいくの？」
「どうなっちゃうの？」


――どうなると思いますか？
　……思い出してみてください。温かで柔らかな、優しい、強いあの光のことを……。

「……あっ」
「もしかしたら、もしかしたら」
「きらきらひかる、おほしさま……」


――そう。あの星たちのことを、ちゃんと覚えていたのですね。
　うさぎとねずみの眠る場所は、星溜まりの湖を出て、夜空の舞台に飾られたあの星たちが、ちゃんと用意してくれているのですよ。それは、星たちから彼らへの、とっておきの贈り物なんです。

　大小様々な名もなき星たちの感謝の光が交差する場所、夜空の中のただ静かな一点。そこには、彼らしか知らない、星の光で出来たベッドが浮かんでいます。温かな想いで満たされた、美しい光のベッドです。
　月が細くなる頃には、うさぎとねずみは月を離れて、星たちに照らされながら、光のベッドで眠ります。新月を終えて、また月が舟の形に姿を変えるまでは…… 。

「よかったあ」
「あんしんだね」
「うさぎもねずみも、ゆっくりねむれるんだね」
「また、もどってくるんだね」
「ちゃんと、いばしょがあるんだよね」


――この次に、うさぎとねずみが三日月舟に戻ってくる頃。その頃には、暖かな春がわたしたちの元にもやって来ていることでしょう。



――さて、これで、“星釣り”をして夜空に星を飾る月のうさぎとねずみの物語はおしまいです。そろそろ、わたしたちも眠る時間ですよ。

「きらきらひかる、よぞらのほしよ……」
「うれしいね」

「……うさぎうさぎ、なにみてはねる」
「おほしさま……」

「……まっしろで、ふわふわ」
「くろいおめめ……」
「ねずみも……」

「ぎんがどりもいっしょだね……」
「……あったかいね」

「……つきがかけても、だいじょうぶだね……」
「おほしさまが、てらしてくれるね……」

「もう、しんぱいいらないね……」
「そばにいるんだね……」

「きらきらひかる……うさぎ、うさぎ……」


――おやすみなさい。わたしの大切な、愛しい子。





#童話 #短編 #小説 #物語